『絶望 断念 福音 映画』を今読めばもっとわかるか、と
部分だが再び読んでみた。結構ミヤダイと意見が違う。
まあどちらにせよ、世界観の相違という話で
たいした話ではないんだけど。
当時のミヤダイは「サイファ」とか「告げ知らせ」とか
〈世界〉は「外側」に在るとし神聖視してるけど、
私に言わせれば〈世界〉と〈社会〉は二重構造であり
(限定的且つ二重)、世の中には〈世界〉重心派と
〈社会〉重心派のひとがいる。
近年の都市化で〈社会〉だけしか知らない派もいて
その〈社会〉だけしか派を宮台真司氏は
映画を教材にして啓蒙したかったのだと思われる。
自分はと言えばかねてより〈世界〉重心で生きており、
自分にとっての常識とは〈世界〉の通念だったが
「大人になるとは〈社会〉だけになることだ」と
勘違いしていた。
そのせいでとても苦しかったのでこの本を読んで
決定的に救われた、というわけだ。
そんな軋轢・迷い・悩みを元々感じないひとには
これ読んでも「はあ?」しかないだろう。
ピュシスとロゴスの対比も同じようなことだ。
最近流行りの繊細さんも〈世界〉重心派だと思う。
〈社会〉だけしか知らない派と、話が通じない。
この通じなさは、もう「断絶」と言っていい。
今や、スマホに引き回されるマスクマンの群れだ。
「〈世界〉の調べを聞きつつ社会を生きるひと」を
この当時のミヤダイは特別視・危険視してるが、
私に言わせれば〈世界〉と乖離してるひとこそが
キレやすく暴力的だ。帰属先がヨワヨワだから。
まあミヤダイは社会学者だからロゴス側なんだろうね。
もったいない。
ミヤダイはラッセ.ハルストレム監督の『ショコラ』
『サイダー.ハウス.ルール』他『キャスト.アウェイ』や
『マトリックス』『攻殻機動隊』を論評しながら
〈世界〉と〈社会〉について語る。
映画評としてだけでも充分に面白い一冊。
「〈世界〉重心のままで生きていけばいいのだ」
という発見と同時に自分が感じたのは
「〈社会〉がいかにバカでいかに狂っていて利権と覇権に
明け暮れていて破綻していようとも〈世界〉は汚れない」
てことだった。
〈世界〉は決して汚泥に染まらない。レイヤーが違うから。
帰属すべきは、国家ではなく主義やシステムではなく
ピュシスの支配する〈世界〉だ。
宮台真司氏は無事回復したらしい。よかった。
今日もいい天気だ。
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