sissy's log

ここからは 青い空とか岬とか 見える

断捨離 を疑う

 

ハッと気が付くと、部屋が自由に散らかっている。
理想主義者 (断捨離アン) ならば「間違ってる!」
と叫びながら全部ゴミ袋に突っこむのだろうが
現実主義者はどうか。
まず
「成るべくして、こう成っている」と眺める。
「何ゆえに」とか言いながらコーヒーを飲む。
わかっている、他の事にうつつを抜かしたからだ。
他の事に熱狂していた。
シアワセだった。覚えてないけど。
次に
「散らかってて何が悪い」と2分間くらいゴネる。
「夫なし子なしでヨカッタ」と脱線してみる。
最終的に片付けにとりかかる。

 

ひとが生活するには道具が必要だ。
ハゲた猿なのだから。
ハゲなければ衣服は要らなかっただろうに。
そして宇宙の法則、エントロピーの増大問題により
道具は散らかっていく運命にある。
根本的にはそれだけだ。

 

道具管理の崩壊度を0~100%と仮定して
5%で気が付くか90%になってから気付くか、
その個人差があるのは否めない。
私はたぶん25%くらいで気付く。
若い時分は、60%は余裕で突破していた。
CDとかMDとかメモとか本とかマンガとか
教材画材とかの、カオスだった。
シアワセだった。あんま覚えてないけど。

 

0%キープ、は現実的ではない。
みんな「まあまあキレイ」と「ややカオス」の間を
往復しているのだし、それでいいのだ。
往復しながら全体としては分解と拡散に向かっている。
道具も自分も。

 

断捨離アンがウソ寒い、と思うのは
それがいかにも「正義」のように振舞うからだ。
離婚したとか引っ越すとか子供が出てった等の節目で
モノを大量処分することは誰にでもあるだろう。
でも「正義」ヅラされて
スタイルとして押しつけられるのはイラっとする。

 

20代でミニマリスト、を気取るひとも疑う。
彼らの愛の対象がわからない。
「空間」への愛なのか。
「欲望に対しマウントをとれた自分」への愛か。
「安っぽい壁紙とチープな床材」への愛か。
(彼らはなぜかそんな写真を見せつけてくるのだ)
あるいは、そもそも愛がないのか。
謎だ。

 

なにしろ人間はハゲた猿なのだ。
猿がなぜそこまで環境をコントロールしたがるのか。
コロナ騒動もSDGs祭りも、コントロールの病だ。
謎だ。謎が増える一方だ。
もしや、時間を止めようとしているのか?

 

断捨離アンはもっと寛容さを涵養した方がいい。

 

 

***

最近のおどろき。
インテリゲンツィアがロシア語だったこと。

「intelligentsia
ロシア語で知識人階級を意味した言葉。
歴史的には特に,1860年代からロシア社会の後進性の克服をめざして,政府の弾圧にもかかわらず言論活動を展開した知識人階級をさして用いる。後進性克服の思想と方法をめぐり,西欧派とスラヴ派,さらにナロードニキアナーキスト・ニヒリスト・マルクス主義派などに分かれた。」(コトバンクより)

 

***
さて。
ABEMAでアーセナルを観よう。にゃふふふふ。

 

 

 

 

 

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