sissy's log

ここからは 青い空とか岬とか 見える

多様であること

 

桜が満開になりそうだ。
見に行かねば。あの畏しさを堪能しに。

 

「多様性を愛してる、多様さこそが この世界の希望だ」
て言った件の補足。

東京で生きていたころ、学校の選択科目で
文化人類学」を取っていた。22時間分くらいの
講義を受けた程度で大したことないし、ほぼ忘れたが。
言語・民族・風土・宗教・伝統文化・制度・気質など
それぞれの要素で、世界を区分する。
フィルターを幾重にも重ねて、視る。

 

言語は同じだけど宗教は違うとか、
この民族はあっちへ追いやられたようだとか。
何かの結論に至るわけでなく「世界は広いなあ!」って
愉しさだけを覚えている。

 

ロシア偏向報道に踊らなかったのはその成果かも。
世界は複雑で多様で、それぞれに悩みと事情がある。
「善 or 悪」で塗り分けるなど、ガキかバカのすることだ。
※個人の見解です。


科学のそもそもの領分は「観察と記述」だと思うが
人類学もそれに似ている。
結論として「この世界は必然として多様である」に
至るしかないんじゃないか、と思う。


多様さについて、さらに自分は自然科学に依っている。
例えば
擬態昆虫が好きだ。昆虫なんだが葉や花や他生物に
化ける。正しくは「似ているとしか言いようがない」。
当家にもアリに酷似したクモがいた。現在行方不明。
クロアリが来るのが難しい家なので、不思議に思い
つついたらピョンピョン跳んで逃げた。
アリは走るがピョンピョン跳んだりしない。
つまり擬態クモだった。
また会いたい‥‥。
いやそういう話じゃなく、擬態昆虫、
コスタリカツノゼミなどを見てると
めくるめく多様性で、気が遠くなるほどだ。
ハチに擬態したもの、薔薇の棘に擬態したもの、
どういうつもりか方向性が不明なもの。
↓ キュートではあるが‥いったい‥。

「種としてのアイデンティティは保たれてるの?」と
心配するくらい、とにかくもの凄いバリエーション。
どの形態が「生存に有利」か「適応的」か分からんから
じゃんじゃん作っとけ、という作業に見える。
(神が作っていた場合.)

 

時を止めて事象をみると「多様」ということだが、
一万年とか十万年とかの流れで見ると「進化」と
いうことになる。目下、絶賛進化中、なのだ。
生物はみんなそうだ。(速度に差があるが。
「退化」にしか見えないケースもあるが.)

 

そういうわけで先日
「多様さこそが この世界の希望だ」と書いた。
しかしプーチン氏・トッド氏はそこまで言ってないので
誤解無きよう。私がそうだ、という話。

 

豊かさとは「多様性」のことだと思う。
「カネの量」ではなく。


そう言えば「進化でまぶたは出来たのに、なぜ耳ふたは
出来ていないのか?こんなに聞きたくない言葉や音が
あふれているのに‥」と土屋賢二氏(哲学者)が
書いていた。欲しいねえ、耳ふた。見えないとこで
キュッと閉じられる仕組みのヤツ、希望。
生まれて来い、ふた付きタイプ。

 

 

 

 

 

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