sissy's log

ここからは 青い空とか岬とか 見える

ヒトはなぜ、信じたがるのか

ヒトは信じたがる。「信じる」て言葉は人気だ。
主を信じて待つ犬は美談になる。
信じない、は人気がない。
でも私はほとんどの情報を事柄を、信じない。
心の中に「保留中」と立て札したプールを置いて
基本そこに全てぶち込んである。

前述の通り。だからこそ自由に横断できる。

 

信じることがパワフルなら、
信じないことも同じ程パワフルなはずだ。
場面によっては。

 

そもそもヒトはなぜ、信じたがるのか。
カーネマンは言う「楽だから」。
ラクかー。その発想はなかったなー。
市井の整体師である芳田氏は言う
「自分の存在意義を認めてくれることや居場所を
与えられることに喜びを感じたからであって、
結局は孤立や不安が洗脳の材料になっている。
(オウム信者全体主義に関しての文章より)」
https://www.yoshidaseitai.com/post/心理学者と振り返るコロナ騒動
全く同感だ。誰かに付いて行きたがるひとは
不安で孤独で自信がないのだろう。

なのに。
嬉々として、私はあの人の信者だ、ついていく、
などと公言する。一方で私には信者が数千人いるのだ、
はは、どうだ参ったか、などと威張るひともいる。
頭がおかしいと思う。

 

信じたがる=群れたがる年代、がある気もする。
15歳以下と、乳幼児を持つママと、老人だ。
どれも個体として弱いから。
しかたがないのだろうね。

だがしかし。
ここ2年間、信じること・信者になることへの
危険性が急上昇中だ。馬淵睦夫氏の言うとおり
「毎日がフェイクニュース」なのだから。

 

信じるリスクが高いのは、離脱するエネルギーが
負荷が大きい点だ。離婚が結婚よりも大変なのと
似ているかもしれない。(但し私は結婚も離婚も
していない)
信仰を撤回しようとしてるうちに、逃げ遅れる。
それは動物として生物として致命的だろう。
常にフレキシブルでニュートラルでいないと
身軽でいられないし、危険だ。

 

また、団体・集団化すると信仰はより強固になり
より離脱が困難になり、さらに危険になる。

 

そんな自分はコロナ死因説自体にも懐疑的。
綿棒の先には数百の種類のウイルスが付いてる
はずで、なぜコロナだけを特に増幅し恐怖するのか
意味がわからない。
他のウイルスの可能性は全てスルーでいいのか?

 

もう一度いう、信じることは思考停止であり
危険だ。まずは疑え。
プーチンは悪いヤツなのか?仕込まれてないか?
これは侵略なのか?奪還じゃないのか?
これは暴徒か?蜂起した市民じゃないのか?

 

本日のミニ情報。
伊藤園ジャスミンティーが春の空の下に合う。
花の香りで、脳内が浄化される感覚だ。
ペットボトル茶にしては美味。
だが私の言うことは信じるな。確かめよ。
レッツゴーコンビニ。

 

 

 

 

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